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写真・詩コラボ作品 -TIME- +作品(額入り)

お問い合わせは鈴木戸田耐子 taikosuzuki@icloud.com にお願いいたします。

-TIME-82

吉祥寺の高架下近く、
    空にボールト屋根の痛んだ姿で
    隠れる様に身体を横たえていた
    磯崎新氏の小住宅が補修工事を経て新たな輝きを得、
    その姿は凛として発表当時に戻っていた?
    (当時の建築雑誌は、いや、デザイン雑誌に限らず、
    あらゆるメディアはモノクロの写真だったな)
    70年代半ば、彼は驚く勢いで建築を造り出していた。
    住宅を発表することは、
    彼にとって、建築的意味を持った発表ではなく、
    建築に対する思考の発表の場として考えていたのだろう。
    痛々しく横になっていた事を目撃した私にとっては、
    彼のあの時代の建築に対する考えが、
    今日の建築家が迎えている意味や社会的立場の違いを
    いみじくも表しているように感じた。
    住みやすい住宅、
    住み手に対する住まいとしての住宅、いや建築、
    彼にとっては、
    そうした問題は建築を進めていく上では
    効力を持たなかったことだ。
    彼の「建築の修辞」は、今読み直すと、
    建築家が向かう創造は、目先のことよりも、
    この国の文化について考えていた
    建築を指していたことかもしれない。
    このMusashino House が
    新たな住まい手によってよみがえったことは、
    少なからず建築の読み手がこの国にあったことになる。
    建築の読み手が建物として以上に身体化していく姿は、
    とても知的な行為だと感じる。
    住宅は彼にとって
    建築というテーマにつながらなかったように想像するが、
    建築の読み手が住宅を考える、
    これはボールトの住宅に秘められたテーマのように思う。
    あといくつかのボールトの連作の現状は、どのように?

 

    82

 

詩:往蔵稲史仁 写真:鈴木耐子

 

磯崎新 - Wikipedia

イーワーン - Wikipedia

 

 

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